佐高信氏の対談本という事と、書名が目を惹いたので、読むことにした。対談は8時間にも及んだそうだ。対談相手の魚住氏というジャーナリスの存在を初めて知った。

巻頭の伊丹万作氏の「戦争責任者の問題」という60年前に書かれたエッセイで、「敗戦直後に、日本人の殆どが《だまされて》戦争に突入したと言ったが、だまされるということ自体がすでに1つの悪であり、《だまされていた》と平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう」という指摘通りとなっている事が、衝撃的だった。
魚住昭氏の著作(『沈黙のファイル―「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫』『渡邉恒雄 メディアと権力 (講談社文庫)』『野中広務 差別と権力 (講談社文庫)』)を順番に読みたいと思う。魚住氏は著書にサインを求められると「しなやかに そして したたかに」と書き添えることがあるそうだ。


だまされることの責任

だまされることの責任


<読書メモ>

○「戦争責任者の問題」伊丹万作(『映画春秋』1946年8月号)
 ・伊丹万作(映画監督)は伊丹十三大江健三郎夫人・ゆかりさんの父親。
 ・だまされるということは、知識不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱から
  くるものである。
 ・いくらだます者がいても誰一人だまされる者がいなかったら、今度のような戦争は
  成り立たなかったに違いない。つまり、だます者だけでは戦争は起こらない。だます者
  とだまされる者とが揃わなければ戦争は起こらないとなると、戦争の責任も、また当然
  両方にあるものと考えるほかない。
 ・そして、だまされた者の罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にある
  のではなく、あんなにも雑作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を
  失い、家畜的な盲従に事故のいっさいをゆだねるようになってしまっていた国民
  全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。


住専問題の本質
 ・「金融ご意見川柳」シティバンク日本支社
   国民を むりやり連帯 保証人
   通帳の シミかとみれば 金利なり
   あの銀行 昔の名前は なんだっけ
 ・住専問題の本質は、銀行と大蔵省が結託して住専(住宅金融専門会社)に金をじゃぶ
  じゃぶに注ぎ込んで、土地建物を買わせた。住専は無審査で金を貸付けて、その
  金が暴力団にも流れていた。バブルが弾けて、膨大な不良債権(6兆4千億円)を
  抱えた住専は破綻し、銀行・大蔵省は「金融不安」を脅し文句に公的資金投入
  (1次損失:6850億円)を迫った。
 ・RCCの中坊氏は詐欺的な回収を部下に指示していた。大阪府堺市の5千坪の土地に
  RCCの他に明治生命など2社も債権を持っていたが、2社を騙してRCCは14億円を
  受取り、2社には9億円づつしか回さなかった事が明るみに出て、2003年秋に
  弁護士廃業に追い込まれた。


○「批判」を失ったジャーナリズム
 ・日本の新聞記事の約7割は、官庁もしくはそれに準じる所が出している情報で
  記者クラブがその窓口。
 ・全マスコミが、広告効率を考え全国紙を目指しているので、どこの家庭でも
  通用する情報・論調の記事しか流せなくなるので、新聞は雑誌と違い、差別化
  できなくなる。


小選挙区制の弊害
 ・自民党の中にハト派と呼ばれる中国派で、戦争責任の問題もあり、中国を
  重視しようとする人達が、殆どいなくなったのは、小選挙区制の導入以降。
 ・小選挙区制では、最低でも50%を取らねばならず、65%を狙うこととなり、
  65%の選挙民が良いと思う意見しか言えなくなる。
 ・中選挙区制では4〜5人当選するので、誰かが30%取れば、15%でも当選できる
  ので、少数派の意見が生存できる。
 ・小選挙区制のおかげで、各選挙区に学会票が最低2万票ある創価学会の力は
  飛躍的に増大している。共産党以外の政党はね学会・公明党批判ができなく
  なってしまった。


○自公連立がもたらしたもの
 ・藤原弘達が『創価学会を斬る (1969年) (この日本をどうする〈2〉)』)で、「創価学会公明党自民党
  との連立政権を狙っているのではないか。自民党過半数議席を失った
  場合、公明党との連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、
  その時は日本の保守独裁体制がファシズムへのワンステップを踏み出す時
  でなないか。」と書いており、現在の状況をピタリと当てている。
  ちみなに1999年春、藤原か亡くなった時、自宅に一晩中、「おめでとう
  ございます」という電話が鳴り続いた。
 ・1999年に自公連立により、官僚が通したかった周辺事態法、盗聴法、改正
  住民基本台帳法、国旗・国歌法が一気に通った。


小泉人気
 ・「戦前回帰」をもくろむ年寄り不満組みと若者自信過剰組とがくっついて、
  小泉支持になっている。
 ・小泉の象徴的な言動に、靖国神社参拝を首相就任期間に4回行い、違憲
  訴訟を起こした人達について、「世の中おかしな人がいるものだ」と
  世論もしようがないかな、みたいになってきた。
 ・自民党代二代総裁の石橋湛山は、戦後すぐに靖国神社の廃止を主張。


○「自己」がない世襲議員
 ・野中広務を見ていると政治家の「自己むというのは支持者の切実な
  思いで作られ、彼の周りにいる人達の人格の総合体となる。
  二世、賛成議員は、そういう根っこか無いので、「自己」が無い。
 ・保守派リベラル、数少ない自民党民権派の系譜、松村謙三石橋湛山
  宇都宮徳馬鯨岡兵輔野中広務らが、きれいに世襲されていない。
 ・彼らは皆、中国派で中国を大事考えていた人。中国を考えるという
  事は戦争責任を負うということである。
 ・タカ派というのは利権派で、親から受け継いだものを大事にするので、
  「アカ恐怖」に繋がり、中国恐怖になってしまう。
 ・「アカはダメ」とイデオロギーにこだわるのはタカ派で、イデオロギー
  を越えて中国は大事じゃないかというのがハト派


○平等志向の田中・竹下派
 ・1972年田中角栄政権の以前は、帝大出身の政治家を帝大出身の官僚が支え、
  帝大出身の財界人が支えるという構造だった。『日本の政治―田中角栄・角栄以後
  田中政権以降、政治の主導権を握った田中派の政治家は、竹下、金丸、
  梶山、野中などみんな帝大とは縁が無い。
  田中・竹下派は、非帝大・非エスタブノリッシュメント層出身の政治
  集団だった。
 ・田中の発送の中には、「裏日本」が「表日本」に虐げられるような事の
  ない、より平等な社会を作ろうという意識が見られた。
  「辺境」が中央を食った政治であり、その究極が野中広務。辺境の辺境で
  である被差別部落から出てきた人が、日本の政治の主導権を一時的にも
  握ったが、小泉に破れ政界引退を余儀なくされたというのは、今の時代を
  象徴する話である。


野中広務
 ・野中は田中角栄の平等志向・平和志向を受け継いだ最後の政治家。
 ・しかし、野中が公明党を抱き込み、小泉政権の土台を作ってしまった。
 ・野中は周囲から評価される仕事をすることによって差別を乗り越えるという
  のが生涯のテーマで、部落開放同盟的な集団活動とは全く別のやり方で
  差別と闘って這い上がってきた。
 ・野中は国家考案委員長の時に、松本サリン事件の河野義行さんを訪ね、
  謝罪をしている。肩書きだけで生きている人間にはとてもできない事を
  やれる人。
 ・官房長官時代にも、ハンセン病原告団に会い、国の責任を最初に認め、
  その後、熊本地裁で全面勝訴した時、控訴しないよう与党内で根回しをした。


○戦前から続く「無責任体制」
 ・石原莞爾−辻正信ライン
  陸軍参謀本部作戦課は、陸軍の中枢で、対米戦争の牽引車となった部署。
  作戦課の作戦班長の辻正信・中佐が、対米開戦を強行に主張し陸軍を引っ張った。
  田中新一(作戦部長)、服部卓四郎(作戦課長)、辻のラインが対米開戦の
  キーポイントだった。
 ・日本の軍隊組織は、上の人間は何も考えておらず、下の課長補佐クラスの意見が
  組織を動かす、権力が降下した不思議な組織だった。
  中堅幕僚が事実上の権力を握り、トップがそれに乗っかって動いていくので、
  責任の所在が極めてあいまいになり、誰がどういう理由で戦争を始めたか
  うやむやになってしまう。
 ・関東軍参謀・石原莞爾は、上司の板垣征四郎と組んで、司令官の本庄繁を突き
  上げ、ハンコを押させたが、本庄は敗戦後自決し責任をとった。
 ・その石原に対しても参謀本部作戦部長として、関東軍内蒙古侵攻の暴走を
  止めようとしたが、関東軍参謀の武藤章らを止められなかった。
  1937年の盧溝橋事件で、作戦課長の武藤は、参謀本部から石原を追い出す。
 ・日米開戦直後、武藤は軍務局長に就いていて、開戦消極派だったが、田中新一
  作戦部長に開戦の決断を執拗に迫られ、対米戦争に突っ込んでいった。
 ・1939年7月のノモンハン事件で、服部が関東軍作戦主任の時に、辻と組んで
  ソ連に惨敗し1万数千人の死傷者を出したにもかかわらず、1年後に服部は
  参謀本部作戦課・作戦班長に栄転し、作戦課長に昇格後、辻を作戦課に呼び
  戻した。
 ・官僚は匿名の陰に隠れて責任を逃れられる立場におり、官僚支配の国というのは
  責任が無くなる国となってしまう。
  命令ラインの脇にいて、ブレーンという位置づけなので、責任を取らなくて
  いい典型的な官僚が参謀。実際には参謀が組織を動かしている。
 ・辻正信は、日米開戦後、シンガポール攻略戦を担当した第25軍(司令官・山下
  奉文)の作戦主任参謀として、華僑虐殺事件を引き起こす。敗戦時には、
  第18軍方面軍参謀としてバンコクにいたが、行方をくらまし48年に日本に戻った。
  その時、英国から華僑虐殺事件の首謀者として戦犯追及されるも、GHQに重用
  されていた服部卓四郎か動いて辻の戦犯指定を解除した。
  その後、52年に衆議院議員に当選し、59年に参議院議員に当選し、見事に
  復活したが、最後はラオスで行方不明となった。
 ・辻は上司の服部を警察予備隊の初代幕僚長に持ってこようとした。


瀬島龍三
 ・無謀な参謀のトリが瀬島龍三で、参謀本部作戦課の参謀として、対米作戦を
  担当し、1945年7月に関東軍総司令部に赴任し、敗戦後シベリアに抑留された。
 ・11年間のシベリア抑留の後、伊藤忠に入社し、10年て専務、20年で会長に
  就任。中曽根康弘竹下登ら「歴代総理の指南役」と呼ばれた。
 ・伊藤忠では対韓・対インドネシア賠償ビジネスで、向こうの政府が必要な
  物資を日本企業に注文し、代金支払いを日本政府が保証するという商売を
  やって出世していった。
 ・中曽根康弘竹下登金丸信ら戦中の軍隊経験者からすれば、瀬島は雲の上の
  人で、戦時中の身分の格差が戦後もずっと生き残り、戦中に植え付けられた
  エリート軍人に対する崇拝心を持ち続け重用した。


○マスコミの戦争責任
 ・マスコミは軍部と一緒になって戦争をあおった加害者というのが真実に近い。
 ・軍人には確固たる方針はなく、世論に影響されたが、新聞が世論を代弁する
  形で軍人を引っ張った。


○米国のベクテル社
 ・共和党と深く結びつき、世界のダム、精油所、石油パイプライン、空港、
  原子力発電所の建設利権に関わって大きくなった会社。
  本社はサンフランシスコ。
 ・国務長官を勤めたシュルツ、ワインバーガーらが経営者であり、ブッシュ
  親子もベクテル社と深い関係にあり、「ベクテル・プレジデント」と言われて
  いる。
 ・ベクテルは1999年から4年間で共和党に76万5504ドルの献金をしており、
  イラクの戦後復興に関する米国債開発局(USAID)との契約額は最終的に20億ドル
  に達する。驚くのは、レーガン政権時代にフセインと組んで、ベンテル社は
  イラン国内で建設した化学工場で毒ガス兵器を生産していた。


○病的に冷酷な日本社会
 ・戦後民主主義により、池田、田中、小渕に至るまで、都市の富を地方へ分配する、
  富の分配を目指す平等志向は戦後社会の一貫したテーマで、世界でもまれな
  所得格差の少ない社会ができ上がった。
 ・しかし、日本ほどマイノリティ(被差別部落民、在日朝鮮人など)の少数者に
  対して冷たい国はない。
 ・お互いに差別されはしないかと戦々恐々としながら生きていけないような
  目に見えないけれども重層的な差別の構造が深くある。


スターリン感謝運動
 ・シベリアに抑留された60万人の日本兵の間には、日本軍の階級・組織がそのまま
  残り、命令系統が生きていた。
  そこに、イワン・コワレンコ(後にソ連の対日・極東政策責任者)が『日本新聞』
  を週3回15万部を発行し、「シベリア天皇むと言われた浅原正基が加わり、
  シベリア民主運動という日本兵共産主義翼賛運動が開始された。
 ・シベリア民主運動により旧軍の序列が崩壊し、下級兵士が収容所社会のトップ
  となり、「スターリン感謝運動」が始まった。
  日本帰還後は、「アカの戦戦士」として、そのまま代々木(日本共産党本部)に
  向かうこととなった。
 ・収容所の日本人は、天皇万歳からスターリン万歳に、全く同じ構造でやっていた。