創業・ベンチャー国民フォーラム主催の「Japan Venture Awards 2007」の記念シンポジウム・各界のトップランナーから学ぶ「再チャレンジ!」に行って来た。

コーディネーターは昨日のフランチャイズ&ベンチャーフォーラムに引き続き、田嶋雅美氏であった。昨日に引き続き、今日のシンポジウムも豪華なパネリストで、創業者の気持ちの持ち方、考え方に大変感銘を受けた。
走っている姿しかイメージが無い瀬古選手が、大変ユニークで明るい方であった事を知り新鮮だった。


パネリスト

株式会社エイチ・アイ・エス 取締役会長 澤田秀雄
エスピー食品株式会社 スポーツ推進局長 瀬古俊彦氏
株式会社リヴァンプ 代表パートナー 玉塚元一


<シンポジウムのメモ>

○自己紹介と最近のトピック
・澤田会長:
  HIS、海外ホテル、スカイマーク(大変苦戦)、HIS証券(相当辛い思いをしている)、モンゴル銀行(モンゴルNO.1)、モンゴルでホテル建設(予定が大幅に遅れ苦戦)
  色んな事をやってきたが相当失敗もしている。
・瀬古さん:今まで一度も仕事をしたことがない(笑)
・玉塚代表:旭硝子で12〜13年、IBMに転職しお客としてユニクロ柳井市と出会い、1998〜2005年にかけてユニクロで勤務、2005年10月リヴァンプを5人でスタート、現在は60名


○自分のチャレンジ体験
・玉塚代表:
  これまで挑戦した時は、強烈な動機があった。これをやりたい、やるしかない。先ずは考えずに飛び込んでいく。
  ユニクロに1998年入社:MBAを取った後、全てを分かったような気になっていた時、真面目に「世界で勝てるカジュアル店をやりたい」と言っていた柳井社長と出会い、事業センスを学びたいと思った。ユニクロでは自分の力不足だった。
  リヴァンプ:自分でリスクを取って挑戦しないと壁を破れないと思い、創業した。
・澤田会長:
  ヨーロッパを4年半旅行して、戻って来てから貿易事業をしたが、製品が輸出禁止となり失敗。
  旅行者経験を活かし、食べていく為に3坪の旅行会社をスタート。JTBの半額で海外旅行を販売したので、飛ぶように売れると思ったが、うまくいかなかった。信用が無い事を痛感した。
  6ヶ月経ったが殆ど客が来ず、ヒマでやることが無いので、パチンコ屋に置いている歴史物の本を読んでいると、「継続は力なり」と書いてあり、3年は続けようと思い直した。
  その内、口コミでお客が増え始め、今では海外旅行でJTBを抜いている。どんな事業も軌道に乗るのに3年はかかる。
  航空会社が3社のみで、どうしても安い国内チケットを作れなかったので、値段交渉に行ったが、3社とも「同じ値段の燃料で、同じ距離を飛ぶのだから値段が同じなのは当たり前」と言われ、自分で飛行機を飛ばすしかないと決意した。
・瀬古さん:
  高校2年と3年のときにインターハイで800m、1000mで2連覇し、全国の大学の陸上部からスカウトされた。
  一番頭の良い大学が早稲田だったので、進学を決めたら、いきなり「入試がある」と言われ、受験に失敗。
  早稲田から他大学に取られては困るので、留学するように言われ、行きたくもない南カリフォルニア大学に留学。ストレスでマクドナルドを食いまくり、58kg→68kgに太ってしまった。早稲田に潰されたと恨んだ。
  1年後に早稲田に合格し、3月に合宿に参加した時、中村清監督と出会った。
  合宿での中村監督の訓話の中で、「早稲田の陸上部が不甲斐ないのはOBの責任」と言い、泣き出しながら自分の顔をボコボコと殴り始め口から血を流したり、「この土を食べたら世界一になれるというなら・・・」といきなり足元の草を引き抜いて土をガリガリ食べたりと、強烈な師匠と出会い、3ヶ月で58kgに戻った。
  インパクトのある人に出会うと、人間は必ず変わる。


○強くなる瞬間
・瀬古さん: 
  練習はいつもレースと思い本気でやった。下宿先の千駄ヶ谷から早稲田まで、両手に重りの石を持って、鉛入りの安全靴を履いて、走って通学した。
・玉塚代表:
  壁に追い詰められた状況をぶち破った時。経営者は局地戦で1つ1つ勝って、人を元気にしていかねばならないが、局地戦に勝てば勝つほど、蛸壺状態になってしまう。
  本当にそのチームの戦い方で良いのか、今のチームで良いのか、何歩も下がった所と局地戦の場所を行ったりきたりしてよく考えないとダメ。
  小さくても良いので成功体験をつくる。
・澤田会長:
  体力は落ちるが気持ちで10年は補える。聖路加病院の日野原さんは、現在94歳で3年先まで予定が入っている。