早大の公開講座『勝ち組ベンチャー企業の条件』の第3回は、GMOペイメントゲートウェイの相浦一誠社長の講演であった。

講演テーマは「勝ち抜く為のマインドとスキル」。強靭な体力を持つラガーマンと、
IBMで鍛えたハイテク・セールスマンの文武両道を持ち合わせた、大変エネルギッシュな
人物であった。
実家が、75年間お寺の建替えができていないそうで、それをやるのが先祖から自分に
与えられた使命と考えているそうだ。<講演メモ>

○幼少の頃
 ・10才の頃、成績が5でないと通信簿を破られた。
 ・父親から体力を付けさせる為にラグビーさせられた。頭を支えているのは体力である。
 ・小学校の文集で、「実業家になる」と書いた。


○学生時代
 ・高校ラグビーの花園でベスト8まで行き、明治大のラグビー部で入学。
  →本当は早稲田でラグビーをやりたかった。
 ・20歳の時に、IBMへの入社を決意し、IBMしか面接を受けなかった。成績が保健・体育で
  「優」が3つか無くボロクソに言われたが、「絶対、後悔させない」と言って採用された。
  →入社後に知ったが、IBMは誰が採用面接をしたか、全て履歴に残るシステムだった。


IBM時代(14年間)
 ・1986年にIBMに入社し、同期1800人中、800人が営業SEになれる。
  入社1年目は研修のみで、成績1位になると翌年の入社式の司会を担当でき、金時計を貰える。
  →16位だった。
 ・2年目に目出たく営業に配属され、死ぬ思いでやった結果、ノルマ40億円を達成し、ルーキー・
  オブ・ザ・イヤーに選ばれ、地中海でのオールIBM186ヶ国の表彰式に行かせてもらった。
 ・30歳の時に60歳のあるべき姿として、「20社のグループ会社のトップ」になると決め、
  35歳で独立すると目標を立てた。
  →何をいつまでに勉強しないといけないかが明確になった。


○スピンアウト
 ・36歳で独立できることになったが、大きなビジネスチャンスを逃しているのではないかと
  あせりを感じていた。
 ・ヘッドハンティングされ赤字会社(累積損失8億円、借入3億円)をM&Aし、個人補償をして
  社長になった。


○社長になって思うこと
 ・利益を出すことが社長の仕事
 ・駄目になる会社は営業が弱い、営業部隊を強くして利益をだす
 ・答えの無い判断をし続けなればならない
 ・権限委譲をどこまでやるか、伸びている会社は権限委譲が進んでいる
 ・決して慌てることなかれ。会社をやり始めたら社員と家族の生活を保障しなければならない。
  絶対にやれる自身、精神的にもスキル的にも準備万端で、慌てずに起業する。
 ・金持ちの条件は「がまんすること」。チャンスは自分の前に必ず来る。その時に大きな網で
  サッとすくう。
 ・より正しい判断をする為には、知識が必要。
 ・時間だけは平等である。


GMOペイメントの事業
 ・クレジット決済は市場規模300兆円で、年率25〜30%で伸びている市場
 ・決済というイベントは必ず発生し、最も顧客の囲い込みに適している


○有能なリーダーの条件
 ・しっかりとした教育を受けている。能力を発揮できるのは日頃のトレーニング。
 ・1人で会社ができない時代において、有能な部下のモチベーションをどう保てるか。
 ・顧客の半歩先を提案する。
 ・ピンチをチャンスに代えられる。
 ・愛嬌とIQのバランスが必要。
  →20代は愛嬌だけで売れるが、年齢と共にIQが高くないと売れなくなる。
  →また、愛嬌が無いと人が付いてこない。あいつのお神輿を担ぎたいと思わない。


○営業の本質
 ・「なぜ今買うのか?」「なぜ貴方の会社から買うのか?」の2つしかない。
 ・顧客が理解できるやさしい言葉で、説明できなければならない。