テンプスタッフ関連の書籍を探していて、たまたま本書を見つけた。企画部営業サポート室の社員が企画し、ジャーナリストが関係者に取材して作られた本のようである。

同社の自由な企業文化がどう構築されていったのか、創業者の篠原欣子(しのはらよしこ)代表の経営哲学もよく理解できた。

逃げない人を、人は助ける

逃げない人を、人は助ける


<読書メモ>


○篠原代表の受賞歴
 ・1992年 「ヴーヴ・クリコ ビジネスウーマン・オブ・ザ・イヤー」受賞。
       日本人で2人目。
       フランスの女性起業家マダム・マリコの精神を称えて設けられた賞。
 ・1993年 日経ベンチャー主催「ベンチャー・オブ・ザ・イヤー」受賞
 ・2003年 『フォーチュン誌』「世界最強の女性経営者50人」で39位。
       日本女性は3人で、創業社長は篠原代表のみ。


テンプスタッフ創業
 ・1973年5月創業。篠原氏38歳。住宅兼事務所の8坪からスタート。
 ・1996年、年商100億円時の3つの経営理念
  「雇用の創造」「人々の成長」「社会貢献」
 ・経営舗維新「身の丈に合わせて、小さく生んで大きく育てる」


○9万人名簿流出事件
 ・週刊誌が事態を発見したのは97年12月。
 ・当時の登録スタッフは12万5千人、その内9万人分のデータがインターネットに
  流出した。
 ・1997年8月に全社共有の社内システムの入替え作業を外部開発課医者に委託し、
  その担当者の28歳SEが自分のノートPCにダウンロードしていた。
 ・1998年1月29日の週刊誌発売の前日、1月28日13時に記者会見を実施。
 ・同年5月下旬の社員総会で、篠原は「会社の内部留保で1年間は皆さんに今までと
  同じように給料を払える。その一年間の給料で、新しい仕事を探してくれ」と
  何百人のもの社員の前で泣いた。


テンプスタッフの発展
 ・創業14年で年商100億円、社員数75人。女の園に限界。
 ・1986年7月、労働者派遣法が施行され、人材派遣業は合法化となり社会的に認知。
 ・創業15年目の1988年、リクルート出身の野武士集団約30人の営業マンを採用。
 ・1990年新卒第1期生「男組」10名採用。
 ・2003年創立30周年。


○新しいポジションが人を育ててくれる
 ・2000年「社内ベンチャー制度」スタート。
 ・分社化によるメリット
   1.いい人材を逃さなくなった。
    →若くて優秀な人は上のポジションを求める。経営に就きたい人は
     グループ会社の役員になれる。
   2.年功序列制が崩れた。
    →本誌やの部長になるか、グループ会社の役員になるか2つの選択枝が
     生まれた。


○篠原代表のルーツ
 ・徳川家の旗本の荒川氏が、田んぼに適していなかった小山村を開墾する時に、
  篠原の祖先を入植させた。篠原家はこの土地の開拓者」
  (保寿院の加藤安生・住職) 横浜市緑区小山町