早大公開講座『勝ち組ベンチャー企業の条件』の第11回目の講師は、テイクアンドギヴ・ニーズの社長 野尻佳孝氏であった。
日頃、週刊誌程度の事しか、野尻社長の人物に関する情報は知らなかったが、90分という短い時間で、彼に若い人が付いていく「カリスマ性」をが十分理解できた。
講演は全て断っているそうで、今回はGMOの熊谷正寿・社長からの依頼で断れなかったらしい。大変貴重な機会であった。会社名は適当らしい。
<講演メモ>
○明大中野へ進学
・中学を8校受験して、明大中野だけ合格し、進学することになった。
・慶応や早稲田実業等の第一志望校は、2/1に受験があるが、明大中野は2/3に
受験があり、殆どが滑り止めとして受験する。
・合格発表が300人だったのに、入学者が520人だった事から、この差が裏口入学?
・同級生に武富士、セガの社長の息子や、貴花田、他にもタレント・役者がいた。
・中学の時、同級生の家に遊びに行ったら、広尾に大邸宅に連れて行かれ、門から
家の玄関までの間に森があって、アライグマがいた。動物園以外で初めて
アライグマを見た。
・明大中野の学生名簿には、父親の職業が書いてあったので、中学1年生の時には、
政治家や弁護士より、経営者の方が裕福な生活をしている事を知っていた。
・また、自分の父親が建築関係の経営者だったが、同じ経営者でも裕福さが違う
という事も知った。
→今考えると、その頃に感じた気持ちが、経営者に向かわせたと思う。
○明大中野での中学生生活
・金持ちの同級生が多く、15歳の頃から六本木でいつも遊んでいた。
・当時、映画の『ウォリアーズ [DVD]』が流行し、米国では若者が文化を
作っていて、自分達もブームを作って金儲けをしようという事で、「チーマー」
と呼ばれる集団の1つ「ファンキース」のリーダーとなり縄張りを取り合っていた。
・1着10万円の革ジャン(販売手数料1万円)を、学校指定と称して胸に学生番号を
刺繍し、各々父兄にお金を出させて、合計5千着程販売した。
・大学生のマネをして、高校生向けのクラブパーティーを企画をし、30万円で
クラブを一晩借り、1枚1万円で500枚チケットを販売し、1回のパーティで
数100万円儲けれた。
・代々木公園に逃げれるということで、渋谷のセンター街がたまり場になった。
・ニューカルチャーを作ると言い始めて、約1年後にメディアの目にとまり、
「渋カジ」として取り上げられ、雑誌にショップの服を着ることを条件に
渋谷のシッョプからスポンサー料をもらい、中学3年頃には年収数千万円あった。
○明大中野での高校生生活
・親友の死がキッカケで、親友の夢であった「花園出場」を引き継ぐ事に決め、
ラクビー部に専念し、創部6年で花園に出場でき、ドラマ「スクールウォーズ」
の記録を抜いた。
・高校3年の時に、将来は島耕作になると決め、明大の就職先名簿を手に入れ、
自分が目指す広告代理店や商社には、体育会に入ると行ける事を知り、
明大ラクビー部に入る事に決めた。
○明大ラグビーブでの大学生生活
・部員は150人で、15人組みで1軍から10軍まである。
・毎年3/15から始まる新人合宿に出ないと入部できない。殆どラグビー推薦。
・監督が、自分が明大中野時代に悪さをしていた事を知っていて、合宿所に
入れられ、4年間、門限22時の生活を送るハメになった。
・後輩は、先輩に対して「ハイ」「イイエ」「アノ〜チッョト」しか話せない。
・部では「しぼり」という、エンドレスのグランド周りと腕立てがある。
・練習中は、1年と2年がしぼられ、練習後は2年から1年がしぼられる。
・渋谷の109の前で、インカムからの指示で、明大中野の後輩たちの目の前で
ホフク前進させられたのが、人生で一番恥ずかしかった。
・「野尻、サツポロラーメン買ってこい」と言われ、20円自腹で払って買って
来たら、「作れ」と言われ、作ったら、「ラーメン屋始めるぞ」と言われ、
自分が600百円で買わされた。
→4年間、「忍耐」だけは養われたが、他には何1つ役に立っていない。(笑)
・入部時に10軍からスタートしたが、3年の時にレギュラーとして、国立競技場
に出れた。努力は報われるという事を実感した。
○就職の時に考えた事
・大学3年の時、Jリーグができサッカーがメジャーとなったのと、ずっと好き
だった宮沢りえと同級生の貴花田が婚約発表をして、焦りを感じた。
・3年の夏のオフの時、広告代理店でインターンシップをして、職業の選択枝に
起業家を明確に目指す事に決めた。
・勉強ができるチャンスがあり、独立準備ができる大企業を目指し、体育会の
先輩に金融業に声をかけてもえらるようにお願いした。
・住友海上のベンチャー支援部に就職が決まり、深い意味は無いが、3年で
辞めると決めて入社した。
・同期150人のうち半分が国立大学で、新入社員研修では、毎日テストがあり、
1ヶ月間毎回ビリの成績だった。
・完全に出世を諦め、3年間の間にベンチャー企業の社長に会いまくり、250人
と会った。会社の仕事は全くせず、自分の為だけに会った。
・給料を全額ゴルフの練習代に使い、週末は経営者のゴルフのお共をした。
○独立の時に考えたこと
・独立するに当り、マーケットが大きい4つの仕事を考えた。
1.インターネット
2.シルバービジネス
3.人材派遣→外資系企業の進出増加、アウトソースのニーズ増加
4.冠婚葬祭→高い利益率、ホテルは宴会で成り立っている。
・自分に会っているか、心を込めて自分がやれるか、子供に誇れる仕事を
判断基準に、ブライダルを選んだ。
インターネットは自分がPCを使えない、人材派遣は、当時は免許の取得が
面倒だった、老人の為に心からやれる勇気が無かった。
○ブライダルで独立
・プライダルのベンチャー企業の社長に会いに行き、自宅玄関で待ち伏せし、
「2年間鞄持ちをさせて欲しい」と訴え、24時間ノウハウを吸収し、3ヶ月で
辞めた。
・当時、ハウスウェディングは確立されておらず、映画に出てくるような
式のシーンを作ることにし、1軒屋のレストランを探した。
・あるレストランを見つけ、「食事だけ用意してほしい。ランチだと客単価
2千円だが、結婚式だと客単価2万円になる」と提案するも、何度も断られ、
勝手に毎日お店の玄関の掃除をして、漸く了解してもえたので、会社を
登記した。
・そのレストランは結婚式だけで、それまでの売上を超えるようになり、
その後1年で10店舗以上のレストランと提携ができ、年商10億円となった。
・ハウスウェディングのニーズを確信し、自己資金で箱物を持つ事を目指す。
・当時はITばぶる全盛の時期で、IT関連でない事を理由に、利益を出している
にも関わらず、VCには相手にされず資金調達ができなかった。
・3年後に上場という目標に対し、売上と社員数のギャップが毎日開いていき、
焦りまくった。
・長者番付で1位〜1000位までのお金持ちにDMを送ったが反応は無かった。
・12月24日のクリスマス・イブに、サンタクロースの格好で、お金持ちの
自宅の前で待ち伏せして、「クリスマスプレゼント」と称して事業計画を
手渡しだりしたが、逆効果だった。
・銀座に会員制クラブ「サロン21」というベンチャー経営者が集る場所がある
という事を知り、ウェイターの女性に毎日自己アピールをして、漸く経営者
を紹介してくれ、中に入らせてくれ10分のプレゼン時間を頂けた。
説明をし始めて2〜3分で、「出資してやる」と言われ、5億円に出資が
決まった。
・投資案件がIT関連ばかりで、自分達が内容を理解できなかったらしく、
リアルビジネスで、自分達が事業の中身が理解できたと言われた。
・「DMとサンタクロースは、お前だったのか!仲間内で噂になっていて、
ヘンな奴には、近寄らないでおこうという話になった」と言われた。
○ブライダル事業での成功
・ジャスダックで最年少の上場、東証2部、1部共に最短で上場。
・創業8年でブライダル業界でNO.1。
・自分達の会社の存在意義、尊大価値のある会社を目指している。
・総合生活カンパニーとして、結婚を期に生保、家具、新婚旅行、育児、教育と
事業領域を広げ、ライフスタイルを提案している。
・毎年約70万人が結婚する中、自社が運営する結婚準備室のサイトに30万人が
登録しており、内2万組が当社で結婚式を挙げて頂いている。
・自社の顧客にヒアリングの結果、新婚旅行に対する不満が一番多く、新しい
新婚旅行を提案。JTBと合弁により、記念日旅行を企画し爆発している。
トラベルプランナーが、二人にニーズを聞き取り、期待を超える旅行を提案。
・結婚式に1千万円以上かかるが、諦めずに旅行に行ってもらう為に、ローン
会社が支援する。
・新しいこだわりを持つ人が増えている。
○今後の事業展開
・ベイビー事業、教育事業にも展開
→結婚後に約4割が出産する。子育てカテゴリーを広げ、ママのデーター
ベースを構築する。
ベネッセが日本一の子供のデータベースを持っているが、数年で超える予定。
・様々なファミリービジネスを展開するかいゃよりアライアンスの声をかけて
頂くが、全て自社でゼロから立ち上げるつもりである。
○成功の為の週間
・世の中の人が何を求めているか、うまく掴むと事業は短期間で大きくなれる。
・目の付け所か良ければ良いほど、事業は大きくなれる。
・明確な目標を立て、ビジョンに日付を入れ、3年毎に見直している。
・目標に対して、どこまで貪欲になれるか、ビジュアルに細かくして、ガムシャラ
にやるという信念を強く持つ。
<質疑応答>
Q:もう一度大学生をやれるとしたら?
→自分に自信を付けれる事をやりたい。これだは人に負けないと思える物。
当社は2万人の応募があり、30人を採用しているが、採用者は自分に自信を
持っている。
○価格をどういう基準で決めるのか?
→価格は顧客に決めて頂く。最期に必ずアンケートをして、常に満足度を確認。
当社が、日本一高い。最初の頃の価格は200万円だったが、今は450〜460万円。
値段に自信が持てるサービス力を持つべき。
○ニーズを見つけるには?
→アクションをする。駅前で直接、人に聞く。
世の中が何を求めているのか、顧客に直接聞くと、ヒントを見つけるまでに
時間が短縮される。
正確に求めている物を、自分達で確認する。
1週間に10冊は情報誌に目を通し、テレビや映画を人より多く見ている。
○従業員のサービス向上への対策は?
→自分達のサービスが本当に正しいか、競合他社に現場を見せてもらっている。
他社はやっていない。
○計画とのズレをどう修正するのか?
→ギャップが開くと不安になる。自分をアオルしかなく、自分をビビらせる。
売上が足りなければ作るしかなく、提携先を増やす為、朝一番で営業した。
日記を付けているとギャップが分かり、ビビる。
○一番つらかった事は?
→社員の死。がむしゃらに仕事をした結果、事故に合い死亡した。
自分がやってきた事が間違いだったと自信が無くなり、会社を閉じようと
思った。
その後、労働環境にも気を使い、バランスを考えるようになった。