早大の公開講座『勝ち組ベンチャー企業の条件』の第2回は、株式会社サマンサタバサジャパンリミテッドの寺田和正社長による40度の熱を推しての熱弁であった。

マスコミを介して、カッコ良く華やかなイメージとは一味違うアントレプレナーとしての寺田社長の一面を見れた。
最前列の関係者席に座っていた5〜6名の若いサマンサ女性社員の社長を見つめる目にハートが見えたのは私だけだろうか?
講演後の質疑で、「今の時点で改めて創業をするとしたら、Webを有効利用するか?」という質問に対し、「簡単、便利というのとブランドというのは合わない。価値を生んでいくのは、空間であったり、手間であったりするから、自分はWebをメインで使うことは無い」との回答に、ブランド構築の本質を感じた。<講演メモ>


○はじめに
 ・ブランド構築をするに当り、苦労話はプラスにならないので、講演は基本的に
  やらないことにしている。
 ・今回は、大好きなGMO熊谷正寿社長から頼まれたので引き受けた。


○少年時代
 ・実家が商売をやっていたこともあり、中学2年の時に自分で会社を作ろうと
  思っていた。
 ・自分は次男で、ちなみに兄貴の名前が正和。父親が社長で、副社長で弟である
  叔父を見て、「かっこ悪る〜」と思っていた。
 ・それ以来、聞いたり見たりした全ての事について、会社をやる時にどうなるか
  を考えてきた。
 ・親父達が「ゴルフができないと商談が進まない」と言っていたのを聞いて、
  親父のクラブを持ち出して中3から河原でゴルフをやっていた。
 ・クラスメイトに対し、一緒に仕事をしようと思わせるにはどうすれば良いかを
  考えて、友達を集めて小僧寿を振舞ったりした。
 ・数学が出来るヤツに、社長気取りで「お前、才能があるから簿記を取ったらどうだ」
  と言っていた。


○初めての挫折〜留学
 ・大学受験に失敗した。
 ・挫折した時がチャンスだと思う。挫折するとより深く物事を考えられる。
 ・目標をリセットし、有名大学でも得られない事を目指すことにし、インター
  ナショナル感覚を身につける為に留学した。
 ・カナダ留学中に、革ジャンの日本への輸出と、英会話教師の日本への紹介業(1人
  当り15万円のコミッション)をやった。
 ・英会話教師紹介業については、日本に送り込んだカナダ人の友人から国債電話で
  「寂しいからカナダに帰りたい」と泣かれて、人を扱う商売はやめる事にした。


○サラリーマン生活
 ・留学中に学生起業で、そこそこ儲けたが、実務を経験すべきと冷静に判断し、
  自分がやりたい仕事ができる中堅商社でサラリーマンを経験することにした。
 ・最初から3年で会社を辞めると決めていたが、社長になるつもりで働いた。
 ・サラリーマンを経験して学んだこと
   1.やりがいのある仕事をすべき
   2.プライドを持てる会社でないといけない
   3.給料は多くないといけない
   4.社員との信頼関係を作らないといけない


○25歳で独立
 ・最初の5年位は、日本に来ていない海外ブランドを持ち込む仕事をした。
 ・どんなに嫌なヤツでも大手のバイヤーに気に入られないと仕事がなくなると、
  実際はそうじゃないと思いつつも、我慢して付き合っていた。
 ・ある時期から、自立して好きな事を好きな人と一緒にやる事に決めた。
 ・嫌いな人間や人間的にどうかと思う人とは2度と会わないことにしている。
 ・悪い人間は自分の周りにいてほしくないし、仕事は楽しいものでないとダメ。


○成功への寺田語録
 ・自分が何をやりたいのかが大事。何でもいいので人生の目標を決め、強い
  思いを抱く。どれだけ人より強い思いを持つかが成功の鍵。
 ・この1年間、どんな努力をしたのか、この成功は本当に努力で掴んだ成功か?
  自分を頭の上から客観的に見るクセをつける。
 ・強い思いを持って目標に向かい努力をしていると必ず、どこかのタイミングで
  神様が肩を叩いてくれ、風を感じる時が来る。
  その時に、一歩踏み出す決意が必要。周りの人が色々と言ってくるが、後は
  自分が「ヤル」と決め、チャレンジするだけ。
 ・自分に大きな目標を持っていると悪い人が寄り付かなくなる。
 ・会社は1人ではできないので、社長になるには人を見る目を養う必要がある。
 ・社長の仕事は、社員に新しいステージをどう用意できるかであり、社員に
  もっと仕事をやりたいと思わせられなくなったら、その時は社長を辞めるべき。
 ・創業資金はいくらあっても同じ。ある資金でやり繰りできる。思いが強ければ
  自分の夢に掛けたい人が必ず出てくる。