日本ベンチャー学会、VB情報交換の広場[winwin]、三菱地所「東京21cクラブ」の共催で、新丸ビル「東京21cクラブ」コラボレーションスペースにて、イー・アクセスの千本倖生氏の講演があり、聴講してきた。

シリアル・アントレプレナーから学ぶ起業プロセス」という企画で、会場である新丸ビルの日本創生ビレッジ「東京21cクラブ」の見学会、経済同友会前代表幹事の北城恪太郎氏や、早大ビジネススクール松田修一先生ら豪華なメンバーによるパネルディスカッションもあり、大変有意義で勉強となるイベントであった。

千本先生が華麗なるシリアル・アントレプナー体験談を語られた後、交流会で「以前、○○(休眠会社名)でお世話になりました」と名刺を差し出したら、全くの想定外だったらしく「コイツ何を言い出すんだ?」という感じで相当焦っていた。
千本先生がDDIを設立したのが、自分と同年齢の39歳の時という事を知り、かつての上司を改めて目標にすることを決意した。


○丸の内の歴史
 江戸時代には武家屋敷であった丸の内界隈は、幕府の衰退と戊辰戦争により、
 焼け野原となり、明治政府の所有地として、陸軍が大砲訓練に使用していた。
 明治32年頃、当時の丸の内は、今で言うと山の手線の外という位置づけだった。
 商業の中心は日本橋であり、当時の東京駅は新橋にあった。
 明治政府の財政窮迫により、当時としては破格の大金で三菱が払い下げを受けた。
 三菱内では高すぎると全員反対であったが、大番頭の荘田平五郎が岩崎家に
 「買うべし」と出張中のロンドンから連絡をしてきた。


○シリアル・アントレプレナー
 ・何度もスタートアップを繰り返す起業家のこと。
 ・ベンチャー企業は、5年で2割が生き残る。2回目は20%×20%で成功確率は4%と
  なり、3回目の成功確率は4%×4%で0.16%ととなってしまう。
 ・しかし、実際はやればやるほど成功確率は高くなっていく。
 ・スタートアップのマネジメントを専門とする人は少なく、シリコンバレーでは
  「スタートアップ・アーチスト」と呼ばれている。<講演メモ>

テーマ:「シリアル・アントレプレナーにとっての起業」
    〜起業経験の積み重ねから得られるもの〜


○全ては個人の強い意志から始まる
 ・清成先生が日本にベンチャー教育の必要性を提起し、松田先生が後を継いだ。
  この2人が日本のベンチャー学のアカデミアを確立した。
 ・何事も、どういう個人が思いを持って作り上げていくか、個人の強い意志を
  持った人がいないと何もできない。
 ・Win-Winが最強のネットワークになっていく。
 ・ベンチャーは99%、失敗の連続であり、モガいてあらゆる知恵を出して
  出口を探すことになる。
 ・DDI(現KDDI、2人で創業)、DDIポケット(現ウィルコム)、セルラー(現au)、
  イー・アクセス(2人で創業)、イー・モバイル(3人で創業)と5社目の通信会社
  の創業に携わった。


○北城氏が果たした大きな役割
 ・経済同友会会長挨拶で、「リスクテイク」という言葉を挙げ、起業家精神
  重要性を明確に宣言された。その他にも経済人として、初めて靖国に対する
  明快な発言をされ、大変な苦労をされている。


フルブライト留学 
 ・電電公社に入職後1年で米国へ留学。
 ・大学時代は殆ど勉強をしなかった。60年代当時、日本の大学院は学部の付録
  という位置づけであり、米国では大学院がメインで学部が附属だった。
 ・お金が無かったが、どうしても米国の大学院で勉強がしたいと思った。
  NTTの社員だった当時の給与は月給24,500円で、年収30万円で、当時の為替
  レート1ドル/360円で大学院の書類に年収1000ドルと書いたら、大学から
  「月収ではなく、年収を書け」と注意された。(笑)
 ・始めての渡米で、ホノルル経由の飛行機に乗り、2度と米国に行けないと
  思い、ホノルルの土を持って帰った思い出がある。
 ・米国の典型的なWASPの友人に、日本の価値観で「自分は電電公社の職員」と
  自己紹介をした所、「つまらないヤツ」と言われ、「頭の良いヤツほど、
  リスクをとる」という事を留学後半年で分かった。
   →これが自分としての起業家の道を歩むこととなる原点となった。


○NTTでのサラリーマン生活
 ・NTTでは技術者として、1971〜1979年まで光ケーブルの開発責任者を担当。
 ・当時のNTTは職員33万人、年商5兆円の超優良企業だった。
 ・旧帝国大指定校の技術枠で入職し、28歳で管理職、33歳で部下3千人の部長に
  なれた。
 ・米国ではA&TにMCIがチャレンジしているが、日本ては法律で通信事業を
  NTTしかできなくなっており、NTT独占を何とかしたいと思った。
 ・1985年に民営化で、土光氏がNTTに送り込んだIHI出身の真藤氏に直訴し、
  日本の通信は客が不在であり、競争が必要である旨説明した。


○スポンサー探し
 ・新規に通信事業を始めるに当り、金を出してくれるスポンサーを探した。
 ・最初に当時90歳の松下幸之助氏を訪ねたが、松下病院から会社に通勤されており、
  「20年若かったら自分がやった」と言われ、その後92歳で亡くなった。
   →自分としては、松下氏に最後に可愛がられたと自負している。
 ・当時50歳の京セラの稲盛氏を紹介して頂き、「ナショナルなリーダーになるには
  通信事業をやるべき。NTTの競合会社を作りましょう。NTTは図体が大きい
  だけで必ず勝てる」と京都ロイヤルホテルの喫茶店で説明した。
 ・稲盛氏は直感で「いける」と思い、翌月の取締役会に提示したが、役員全員から
  反対された。時間をかけて一人づつ稲盛氏が説得した。
 ・稲盛氏よりの新会社設立の条件として「すぐにNTTを辞めろ」と言われ、会社に
  辞表を出したら、NTTから母校の京大に「京大枠を取り消す」と圧力がかかった。


○DDIの創業「長距離電話革命」
 ・当時、京セラは年商2000億円の規模の会社で、稲盛氏と二人でDDIを設立。
 ・現在は、KDDを吸収してKDDIとなり、年商4兆円の会社になっている。
 ・NTT民営化の前年(1984年)当時、長距離電話がNTTの利益の90%を占めていた。
  →現在は、NTTドコモが利益の90%になっている。
 ・東京−大阪間の通話料が、3分400円で、米国で同じ距離のロサンゼルス−
  バーク間の通話料は100円だった。
  NTT社内でも、市外電話をかける時には、申請用紙に記入していた。
 ・2006年現在、3分8.5円と98%減となっている。
 ・矛盾がある所には、必ずチャンスがある。
 ・2人のエンカウンター(遭遇、出会い)がなければ、今のKDDIは存在しない。


○DDIの経験から得られたこと
 1.大きなマーケットの矛盾をスタディする
  ・どこが儲けて、なんで儲かっているのか
 2.バックがなくても巨大企業に立ち向かえる
 3.稲盛氏からベンチャー経営の基本を学んだ
  ・1円でも多く売上げ、1円でも経費を減らす
  ・1円の節約は1円の利益
  ・経営は1円の積み上げであり、億円単位で話出したら可笑しくなる
  ・経営は「売上−経費」であり、どちらの数字を良くしても良い
  ・株価は利益の何倍という話なので、利益が大事になる
  ・1円の価値を社員に分からすために、全員にストック・オプションを渡す
  ・1円の利益が、株式市場では数十倍に評価される
  ・購買担当者は、業者とは絶対に付き合わせない
 4.フェアに、出来る限り早く利益を出すのが正しい経営
  ・3年以内に累積損失を無くす
  ・IPOは通過点であり、プライベートな資金調達から、パブリックな資金調達に
   代わるだけ
  ・殆どの創業者が、IPO時に自己所有株を売り出している
  ・自分は毎年、持分を増やし続けている
 5.自分達がやっている事が、世の為、人の為という志を持つ。
  ・キラッと光る志が無ければ、長続きしない。


○1999年 イー・アクセスの創業「固定ブロードバンド革命」
 ・インターネットが日本でブームとなる中、又してもNTTがインターネットへの
  アクセスを独占していた。
 ・1999年当時ISDN(64kbps)によるダイヤルアップ(月額平均1万5千円)から、2006年
  にはADSL(50Mbps)で月額2,880円とスピードが700倍で、価格は80%減となり、
  世界最安値である。


○2007年3月 イー・モバイルの創業「モバイル・ブロードバンド革命」
 ・固定ブロードバンド市場(8千億円)に340社が参入しているのに対し、モバイル
  市場(8兆8千億円、世界大2位の市場規模)には3社のみで、NTTドコモのシェアは
  55%で、8500億円の利益を出している。
 ・イー・モバイルは世界最速スピード3.6Mbpsを定額で提供する。
 ・既存携帯3社とも通話がメインであるが、2〜3年でモバイル・ブロードバンドに
  業界として移行することになる。
 ・既存携帯3者は音声向けのネットワークインフラを整備しており、データ量を
  増やすと、電話のパフォーマンスが落ちてしまう。
 ・NTTドコモが、インフラ整備に5年間で3兆円投資したのに対し、イー・モバイル
  最初から高速ネットワークだけの絞ったインフラを整備したので、1/10で済む。
 ・ウィルコムは10F以上の上層階では繋がらないが、イー・モバイルは40階でも
  2Mbpsのスピードで繋がる。
 ・今年3月末に23区、5月末に関東圏をほぼカバーした。


イー・モバイルの資金調達額 3,632億円
 ・エクイティ:1,432億円 
   イー・アクセス46.9%、ゴールドマン・サックス24.9%、Temasek7%、TBS5.9%
 ・デッド:2,200億円 ←2倍のレバレッジ
   全世界の13銀行
 ・5つ目のベンチャー設立ということで、これまでの経験からマイルストーン
  段階的に資金調達をしていくやり方だと、本業に専念できなかった。
 ・最初から3千億円のロスが分かっているので、今回は最初に全額を調達したので、
  途中でファイナンスに余計なエネルギーを取られることはない。
 ・ゴールドマン・サックスが1ショットで400億円を出資するケースはなかなか無い。
 ・プラチナVCのTemasekが、今回初めて日本に投資した案件となった。
  Temasekはシンガポール首相夫人のマダム・ホーチン女史がトップ。


イー・アクセスイー・モバイルで学んだこと
 1.いかに経営チームを作りかが、経営の根幹
  ・自分の能力が無い所を自分が分かって、それを補うチームを作る必要。
  ・チームとして素晴らしいビジネスプランを作れる能力と知恵が必要。
 2.世界中から自らの力で資金調達はできる
 3.その為にはグローバルに通用するガバナンス体制が必要
 4.トツプが現場の細かい事まで理解する
 5.還暦を過ぎても起業はできる


○最悪の失敗談
 ・イー・アクセスを50億ファイナンスしてスタートした時、ADSLサービスを
  月5戦円の定額と、ギリギリの価格でビジネスプランを立案した。
 ・6ヶ月後、ヤフーBBが、ADSL定額2,980円と40%減の競合がいきなり登場し、
  会社は望み無しとパニックになった。
 ・一晩、ゆっくり睡眠を取り、翌朝、経営幹部を全員召集し、この事を
  最大のチャンスに変えると意思決定し、全ての組織を見直しリストラを
  断行。翌年から黒字に転換できた。
 ・ヤフーBBは、初年度1千億円の赤字、2年目は900億円の赤字となった。
 ・想定外の問題に立ち向かい、どう対応していくか、どう対抗策を取り、
  すり抜けるか、知恵を出していく事が重要である。