早稲田大公開講座『勝ち組ベンチャー企業の条件』の最終日の講師は、パソナ社長の南部靖之氏であった。
2002年頃に、立教ビジネススクールのアドバイザリーボードであった南部社長の講演を聞いた事があるが、5年前の講演とは違い、創業時の話を聞けた。
<講演メモ>
○時間の管理方法:1日を6時間毎に4つに分ける。
1.寝る(6時間)
→夜更しして寝るのが遅くなると、翌日午前中の会議は全てキャンセル。
2.インプット(6時間)
→客先に営業に行くことで、色んな情報が入ってくる。
名刺の肩書き「社長兼営業総本部長」となっており、全スタッフと直接
話をしても良い組織にしている。
3.アウトプット(6時間)
→講演等で自分の考えをアピールする。
4.ドゥ・タンク(6時間)
→自分の為の時間。内2時間は必ず運動する。
毎日、宴会を30年続けている。自前で宴会場、コック、カメラマンも
持っている。
・23歳で起業し、25歳で上京し、35歳までずっとクレイジーな時間を過ごし、
時間に料理されていた。
・1年は11ヶ月と決めており、1ヶ月はビジネスとは関係の無い事をすることに
している。
・自分の人生を自分で作り、自分の時間を自分で管理できるようになるべき。
○年をとる事は良い
・年を取ると「賢く」なる。どこまで自分は賢くなれるのか楽しみである。
・時間の価値観が違ってくるので、時間を有効に使えるようになる。
20代の1ヶ月が、30代には2週間、40代には10日、50代には3日に相当。
○大学生時代
・大学の授業は全く人生に役立に立たなかった。
・試験の度に、教授には一升瓶、職員40人にはケーキを届けていた。
・担当教授より、「卒業させてやるから、応用化学の会社にだけは、就職活動を
しないでくれ。後輩を採用してくれなくなる」と言われ、快諾した。
・そのうち、「お前は会社に入っても務まらないから、自分で事業をやっては
どうか」と担当教授よりアドバイスをされた。
・4年生の10月に、NPOに関心を持ったが、寄付金の範囲しか大きくなれ
ないと分かったので、断念した。
・4年生の12月に、まだ就職が決まっていない自分に、父親から「萩に行って
吉田松陰の墓参りに行け」と言われ、友人と一緒に車で行った。
最初は、意味が分からなかったが、松下村塾の中の掛け軸の文書を見て、
人生が変わった。
「知識をつけるという事は、行動する事。行わなければ知っているとは
言えない。」と松蔭の有名な言葉が書いてあり、それ以来、「一度しかない
人生、迷ったらやる」と決めた。
・翌年2月26日に、資本金360万円(父親100万円、自分5万円)でパソナを
創業。
・当時、女子大生の就職率は16%で、待遇は高卒の給与であり、殆どが寿
退社せざるを得ず、一度主婦になった女性は、いくら能力があっても
パートしかなかった。
○創業メンバーをどう集めたか
・社員第1号は、当時付き合っていた彼女で、女子大生。(現在の奥さん)
・社員第2号は、彼女の女友達。
・その後、学生時代の親友7人に声をかけ、1人も辞めていない。全員が
本社の役員か、子会社の社長をしている。
・派遣社員には、子供会の母親が登録してくれた。
○あらゆる物は夢から始まる
・夢=希望であり、将来の姿、自分の人生の目標である。
・目標を持つ人生と持たない人生は違ってくる。
・しかし、30年経つと夢が欲望に変わってしまう。
・志は野心に代わり、犠牲者を生むこともありうる。
○人生において大切な3つの事
1.目標
2.健康
→才能は平等に与えられているが、才能を生かす努力は必要。
3.出会い
→孫正義氏との出会いは2回あった。
1回目は、シャープの副社長をしていた叔父から、「優秀な若者がいる」
と教えてもらった。
2回目は、野田一夫先生の紹介で会った。
○価値とは何か
・人の価値とは、その人が持っている教養
・企業の価値とは、どういう人材を抱えているかで決まる
・国家の価値とは、国の文化
○これからの人材ビジネス
・2025年には、会社に雇われ、人事権を握られるという「雇用」という概念が
無くなり、働く者の所に、会社からやって来るようになる。
・10年後に、派遣会社は潰れる。
現在、非正社員が1700万人と言われているが、その内120万人が派遣法に
基づき社会保険に入って派遣会社の社員として派遣先で勤務している。
その他は、雇用者が直接雇用するパートやアルバイトである。
・SOHOの時代が必ずくる。