ソフトオン・デマンド(SOD)の創業者である高橋がなり(雅成)氏の著書を読んだ。AV界のカリスマにまで上り詰めた高橋がなり氏からの若僧へのエールが十分伝わる内容であった。

この本は「サイゾー」で40ヶ月かけて毎月、自分自身を奮い立たせるために連載された強気な発言をまとめたものだそうだ。
40の生き方で、まとめられているが、その都度、文末に紹介されている「たかはし・がなり」の自己紹介文は、大変参考になった。
最終章の第5章では、高橋社長自らが、自社製品を語るというソフトオン・デマンドの代表作が紹介されているが、変態を真面目に追求するクダラナさに、思わず笑ってしまった。
前作の『がなり説法』と違い、今回は自分のわがままでライターが書くコーナーを全て排除し、この本が最後の著作物になる可能性が高いので、記念に全部自分で書いた本だけあって、著者の思い入れが伝わってくる内容である。
ちなみに、本気で将来日本に食糧危機が来ると思っているそうで、2005年3月にSODの社長を辞めて百姓になり「農業王」を目指ているそうだ!!東京・国立に10坪の畑を借りて有機栽培を始めたそうだ。
今後も、高橋がなり氏の活動に、引き続き注目したいと思う。


社長の遺言―三度目に成功する人生論

社長の遺言―三度目に成功する人生論


<読書メモ>

・苦労している時に逃げ出す人は、大抵はその苦労が一生続くと勘違いした人。だから必ず楽になる時がくるから、今は我慢して目先の壁と格闘してほしい。


○脱・負け犬十カ条
一、自分だけは自分の潜在能力を信じてあげろ。
一、自分の予測する、自分の限界と言う壁を越える経験をしろ。
一、自分を正当化して、「できない」と言うな。
  (時間的・経済的・人的などの要因を「できない」理由にするな)
  麦という自分を育てるのには肥料はいならい、人に踏んでもらえる環境に種を蒔くだけ。
一、金より大切な目的を持て。
  (金は道具であって、目的ではない)
一、時様式を身につけ、常識を疑え。
  (常識は思考能力のない人のための道具である)
  会社にとって自分が不利益と理解して辞めた本田宗一郎になりたい。
  5年後ぐらいに『会社を伸ばしたければ、創業社長がお辞めなさい』という本を出したい。
一、信念を持て、そして新年に照らし合せて行動しろ。
  (信念がないと目先の利益にとらわれてしまう)
  成長しようと言う気持ちが無くなると人としての魅力が無くなる。
一、ずるい技法を学べ、しかし利用するな。
  (技法を知っていれば騙されずに済む)
  ものづくり」といえども自由経済の中で金儲けをしようとしているのだから、金勘定の基本ぐらいは覚える努力をすべき。
一、行動に迷ったときは、自分にとって苦しいと予測するほうを選択しろ。
一、人生美学をもち、それにカッコよく生きろ。
  (ときには土下座することやボロを着ることもカッコいい場合がある)
  百姓なのにカッコいい百姓になる。
一、親を大切にいろ。
  (親とは今の自分が存在する要因となった人や組織のこと。幸せになれば親に感謝できる、幸せになりたければ親に感謝すること)


○がなり塾(アイカンパニー主催)
・全12回で半年間、5万円。
・塾生は24名。平均年齢26〜27歳の社会人。うち女性6名。
・4人が途中からいなくなり、20人から最後にお礼を言われた。


○がなり流忍耐術
一、勝利者インタビューをイメージする。
  →将来性公社として勝利者インタビューを受けている自分をイメージして、その時に言うであろうコメント通りの行動を今すればいい。
二、身近に敵を作る。
  →気に入らない嫌な奴に、笑われると思えばガンバレちゃう。


○農業業界とAV業界の類似点
・農業業界とAV業界は、流通の怠慢で生産者と消費者のニーズが隔離している点が似ている。
・安全で美味しい商品を作って付加価値をつけてキチンと儲けたい生産者と、安全で美味しい商品を安く買いたい消費者を結びつけるのが、流通という生産をしないで利益を上げる商売人のやるべき仕事なのに、それをしていない。
・最近のAVがつまらないと言っているマニアなお客様を少数派と言って無視してきたレンタル系の問屋と店舗、マニアだから高くても買うんだよと言って安く売る努力を怠ってきたセル系の問屋と店舗は、マニアが実は多数派だったことに、SODが実力行使するまで気付かなかった。
・他になけりゃ買うんだよ、と思っているところが、性欲業界と食欲業界を古い体質にしている。


○たかはし・がなりの自己紹介文
・1万円冊が初めて発行された昭和33年生まれ。ちなみに絵柄は聖徳太子
スバル360と同じ1958年生まれ。車だったらとっくの昔に廃車になっている爺。
売春防止法が完全施行された昭和33年生まれ。
・日清チキンラーメンと同じ1958年生まれ。
長嶋茂雄選手が新人王に輝いた昭和33年生まれ。
・東京タワーと同じ1958年生まれ。
中村うさぎさんと同じ1958年生まれ。
みうらじゅんさんと同じ1958年生まれ。
山口百恵さんと同学年の1958年生まれ。
・巨人軍監督の原辰憲さんと同じ1958年生まれ。
山田五郎さんと同じ1958年生まれ。
・小室哲也と同じ1958年生まれ。
・マドンナと同じ1958年生まれ。
マイケル・ジャクソンと同じ1958年生まれ。
・1958年生まれ、専門学校卒。佐川急便で根性を鍛え直し、テレビ製作会社で人生の演出法を学ぶ。バレンタインハウスを立ち上げたが、商売を甘く見た結果、30歳で独立して苦汁を舐める。37歳でAVメーカーSODを設立。現在は、業界内は敵だらけという状況を大いに楽しんでいる。
・1958年生まれ、一浪しても大学に入れず、頭が悪いといレッテルを貼られた社会人になる。運よくテリー伊藤の弟子になり、『元気が出るテレビ』のディレクターをすることにより、もしかしたら自分も人生の勝ち組になれるかもしれないと勘違いする。30歳で独立するも2回会社を潰し、3回目のAVメーカーSODで成功。