著者の一人である森永卓郎氏は、四半世紀前の1985年に経済企画庁在籍時に作った「2000年に向け、激動する労働市場」という報告書の中で、現在の大卒サラリーマンが自動的に管理職に登用されるシステムの崩壊と、現在の日本の雇用システムを的確に予測していた事が紹介されていた。

森永氏が2003年に『年収300万円時代を生き抜く経済学 給料半減が現実化する社会で「豊かな」ライフスタイルを確立する!』、2007年に『年収1200万円時代』を書いたのも理解ができた。

資本主義はどこまで暴走するのか

資本主義はどこまで暴走するのか

<読書メモ>

小泉首相の祖父「小泉又二郎」
・小泉又二郎は、戦前横須賀軍港の町の「小泉組」(とび職)の若頭領で、博徒相手に抗争するなど「手首から足首にかけて全身見事な九門竜の刺青をして」(加藤勇『小泉又二郎伝』)おり、浜口雄幸内閣の逓信(郵政)大臣になっ時、人々は彼を「入れ墨大臣」と呼んだという。
小泉改革以来の「派遣法」万能時代は、グローバル資本主義の低賃金に対抗する「21世紀の生き残り戦略」と称揚されたが、実際には単なる封建ヤクザ資本主義への後退ではなかったのか。


○日本の格差社会
・今、日本の「全労働者の3分の1は非正規雇用で、年収200万円以下のワーキングプアは1千万人」に達している。
・2007年に、OECDが2000年度の貧困率調査の結果を発表し、1位がアメリカで、2位は日本だった。次回の調査で日本は1位になる。
・英国の調査(シティ・プライベート・バンクとナイト・フランク社の共同調査)によると百万長者(ミリオネア・1億円)が世界で一番多いのはアメリカ。日本は76万5千人で、3位の英国55万7千人を大きく引き離している。


ホリエモン事件
・2005年2月8日、ホリエモンが突然、ニッポン放送の発行済株式を時間外取引で30%取得したが、裁判で明らかになったのは、その時に村上ファンドが堀江に渡した株は全体の3割くらいしかなかった。残り7割は強調行動した内資と外資がいた。
六本木ヒルズに住んでいるヤツは、まだマシで、本当に悪いヤツは世田谷に住んでいる。


○「弱肉強食」経済の原型
・1602年、世界初の株式会社「オランダ東インド会社」が誕生する根底には、16世紀後半のオランダのスペインからの独立戦争がある。
・スペインから派遣された総督の側近が請願に来たオランダの中小貴族に向かって、「たかが乞食の群れに過ぎない」と侮辱したのに対して、オランダ貴族たちは森乞食党をつくり、プロテスタントの市民(カルヴィン派)と組み、海上では海乞食党を作って、スペインに抵抗し海賊となり、これがオランダの独立戦争を戦う軍隊へと発展していった。
アメリカも同様に、カルビィン派の流れを汲む清教徒(ピューリタンプロテスタント)が独立戦争を指導した。
・イギリスの商船を略奪する免許を得て、3000隻以上、当時の価格で1800万ドル相当という膨大な商船と積荷を略奪した船主「海賊資本家」が最大の勝利者となり、彼らが州知事上院議員となり、建国時代の支配者層を形成した。(『超・格差社会アメリカの真実』)
アダム・スミスの『国富論』が発刊されたのは1776年で、アメリカ独立宣言がなされた年。スミスが提唱したレッセフェール(自由放任主義)は、当時重商主義の国々で、東インド会社みたいな独占免許制がとられたことを批判して、市場の「見えざる手」に任せよとしたが、これを熱狂的に支持したのは、重商主義先進国のイギリスではなく、海賊資本主義のアメリカだった。


○人類史上、最も成功した社会主義
・80年代末までの自民党政治が、富の再分配による平等を志向していたのは確か。
・戦後日本の経済体制は、戦前の国家統制経済に源流がある。


バブル崩壊は日米の暗黙の協業
・『円の支配者』に、バブルはわざと起こされたと書いてある。
・一般的には宮沢内閣の時に、日銀が金融緩和策に出ているにもかかわらず、さらに間違えて大量の公共事業に打って出たので、財政金融同時緩和になってバブルは起こったと言われているが、ヴェルナーは1970年代には無くなってたはずの日銀の銀行に対する窓口指導に注目した。
・実際に、役所の予算消化と同じで、窓口規制はバブル期にも残っていて、日本の土地本位制をぶっ壊すただ1つの方法として、ものすごい貸し出し伸び率を銀行に窓口指導していた。
・日銀は金融引き締めをわざと遅らせ、土地の値段がピークになった時に、突然金融引き締めをした。


新自由主義の日本人協力者
郵政民営化は、国民の蓄えを含め、国家の財産を、二束三文でアメリカに売り飛ばすという話。
UFJ銀行竹中平蔵が、逆粉飾決算をさせて不良債権処理という名の乗っ取りをしただけ。UFJが赤字決算になって、三井住友銀行三菱東京銀行で取り合いになった。その証拠として三菱東京と合併後、不良債権を再評価するプロセスで、最初の中間決算で戻益が6000億円。その次に2000億円、その後8000億円と、1兆円くらいの逆粉飾決算をやらされたことが分かった。
UFJが持っていた融資先のおいしい所を全部切り離して、産業再生機構に送って解体し、二束三文でハゲタカファンドに食わせた。


○戦争経済の副産物として近代資本主義が誕生
・地中海経済は近代資本主義の揺籃の地であり、ベネチアの商人が十字軍を経済的に支えて、イスラムとの戦いをやらせて、大儲けした。十字苦戦とイタリアの協会と手を組んで金儲けをしたのはベニスの商人で、資本主義はそこから始まっていく。
・資本主義を支える基本中の基本技術となる「簿記」もベニスで生まれた。
・イタリアルネッサンスの時代に、メディチ家が芸術家のパトロンをしていたが、中世ヨーロッパでは教会の倫理によって、金利を取ることが禁じられていた。メディチ家は銀行業を営んでいて、教会に黙認してもらうために、芸術作品を教会に寄付した。


○戦争の民営化
イラク戦争後の復興期に、「戦争請負会社」という新しい戦争の民営化という未来型の軍ド産業が注目を集めた。兵器調達、戦闘員育成、情報収集から「実践経験豊富な1個師団を迅速に派遣する」という軍事ビジネス。西アフリカ旧英領植民地シエラレオネ反乱軍を鎮圧したエグゼクティブ・アウトカムズ社、クロアチア軍の近代化・電撃作戦を可能にさせた米国のミリタリー・プロフェッショナル・リソーシーズ・インコーポレーティッド社がある。
・しかし、これらは未来形ではなく、1604年設立の世界最初の株式会社であるオランダ東インド会社が、王室の特許状を得て、「東インドにおける条約の締結、自衛戦争の遂行、要塞の構築、貨幣の鋳造などの権限を与えられておれ、講師できる地域は喜望峰の東、マゼラン海峡の西という広大なものであった。オランダ本国では特許会社にすぎないが、喜望峰を回れば国家に等しい権力を持っていた。
(『オランダ東インド会社』)
・中国のアヘン戦争のアヘン密貿易の主人公はイギリス東インド会社であり、アヘン戦争で動員された戦力は、陸兵1万5千人(うち2/3がインド陸軍シバーヒー)、イギリス海軍艦船46隻、その他輸送船100隻近くにおよび、これらの戦力を中国に送り込んだのが東インド会社汽走砲艦で、その総数は14隻(中国遠征軍に編入されたのは全部で16隻)にのぼった。当時は帆船の時代であり、気走砲艦とは現代のイージス艦に匹敵する。


ライブドアの強さの秘密
ライブドアはインターネット財閥というよりも、戦前の満州国経済を牛耳った鮎川義介の「新興財閥」コンツェルンの形態「公衆(大衆)持ち株会社」に近似している。
ライブドアの旧オン・ザ・エッジ時代を含めた累計1万倍の大幅分割は、「株価は分割数が多いほど上昇率が上がる」という経済法則を利用したものだが、1株300円分「発言力」しか持たないの無力な極小株主を増やした。
・戦前の日産の株式総数450万株のうち、51.8%が50株未満の小株主によって所有されており、1万株以上持っている大株主は5.2%にすぎなかった。これは意図的に、鮎川が「株式が少数の大実業家に保有されているより、多数の小株主に所有されていた方が、社長は会社を意のままに動かしやすい」と主張した、旧財閥システムを否定し、「公衆(大衆)持ち株会社」の方が事業拡大に有利だと宣言した。
・フジテレビがライブドアに買収されかけた時、パックマンディフェンスという逆にライブドアを乗っ取りにいく手もあったが、堀江がいないライブドアには何の価値も無く、それができなかったという意味で無敵だった。