米山公啓氏の5年前の著書を読んだ。医学界における学閥について理解が深まった。
患者が求める医療に関する情報が反乱すればするほど、医療のブランド化が進むが、曖昧な情報によって、ブランド化、系列化された医療を選択することが望ましいのか?警鐘を鳴らす本であった。
学閥がどうできあがってき、それがどう利用され、今後それをどう改革していくべきか、が述べられている。
- 作者: 米山公啓
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2002/11/15
- メディア: 新書
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<読書メモ>
○医学界の微妙な力関係
・卒業年度、出身大学、所属医局によって、互いの力関係をさりげなく探り合う
ことが普通。
・旧帝国大学医学部を頂点とする学閥(「ジッツ:Sitz」ドイツ語で、座席・椅子・
議席という意味で、関連病院のポスト、学閥を意味するようになった)の
ピラミッドがますます強固になっている。
・医学部でのスキャンダル、附属病院での医療ミスの背景に、学閥が関係して
いることが多い。
○サリドマイド事件
・旧西独のグリュネンタール化学会社が開発した睡眠剤。
・てんかんの抗痙攣剤として開発されたが、鎮痛・睡眠薬として広く使われる
ようになり、製薬会社は副作用は無く、小児や妊産婦にも使用可能と宣言。
・日本では1958年1月に睡眠薬、胃腸薬として発売。
・1961年11月に、旧西独の小児科医師会議にて、サリドマイドと四肢奇形との
関係の研究報告後、旧西独では同月に出荷停止。その他各国で同年中に
回収措置が実施された。
・日本で出荷が停止されたのは、翌年1962年5月であり、回収公告が出された
のは、1962年9月だった。その回収も不十分であった為、1964年から1969年
にかけて更に5人の被害者が出た。
・米国ではFDAの女性医務官が副作用に疑問を抱き、製造許可を与え
なかったため、サリドマイド事件は広がらなかった。
『ストロング・メディスン〈上〉 (新潮文庫)』(アーサー・ヘイリー)に描かれ、
映画化。
○論文の客観的評価
・サイテーションインデックス:
米国ISI社(Institute for Scientific Information)が約3600の主要な
自然科学系雑誌に掲載された論文について調査し、ある論文が発表後
何件の他の露文で引用されたかを数値化したもの。
・インパクトファクター:
論文の引用回数を雑誌別に集計して、論文一編当りの引用回数の平均を
出したもので、雑誌のレベルを示している。インパクトファクターが高い
ほど、他の研究者に論文を引用されたことになり、レベルの高い雑誌と
いうことになる。
○医科大学新設ブーム
・1970年以降に、医学部・医科大学の新設ブームが起きた。
・川崎医科大学、聖マリアンナ医科は開業医が設立。
・このブームで、既存の大学病院にいて、母校の教授になれない者が、新設
医大のポストを狙うことになった。
新設医学部・医科大学
国立 | 私立 | |
秋田大学(1970) | 北里大学(1970) | |
旭川医科大学(1973) | 杏林大学(1970) | |
山形大学(1973) | 川崎医科大学(1970) | |
防衛医科大学校(1973) | 帝京大学(1971) | |
筑波大学(1973) | 聖マリアンナ医科大学(1971) | |
愛媛大学(1973) | 愛知医科大学(1971) | |
浜松医科大学(1974) | 自治医科大学(1972) | |
滋賀医科大学(1974) | 埼玉医科大学(1972) | |
宮崎医科大学(1974) | 金沢医科大学(1972) | |
富山医科薬科大学(1975) | 藤田保健衛生大学(1972) | |
島根医科大学(1975) | 兵庫医科大学(1972) | |
高知医科大学(1976) | 福岡大学(1972) | |
佐賀医科大学(1976) | 独協医科大学(1973) | |
大分医科大学(1976) | 東海大学(1974) | |
山梨医科大学(1978) | 近畿大学(1974) | |
福井医科大学(1978) | 産業医科大学(1978) | |
香川医科大学(1978) | - | |
琉球大学(1979) | - |
○地域病院の支配
・医局から医者を派遣する病院を関連病院、別名ジッツ病院という。
・1つの医局には、内科であれば医局員が50〜100名おり、彼らのポストを
大学病院だけでは用意できない。
○大学病院は勝者、開業医は敗者という感覚
・医局に残って研究を続けることが、開業医になるより社会的地位は上で
あると多くの医者が信じている。
○医者を評価する基準
・出身大学、出身大学院、留学経験、勤務病院などのブランドと、
ブランドに左右されない医学博士号。
・医学博士は、一般の人から尊敬を受ける為、開業医は博士号を有難がる。
○日本の近代医学の始まり
・1869年に、明治政府の医学取調御掛の相良知安と岩佐純の主張により、
近代医学の手本として、ドイツ医学の導入が決定。
・福沢諭吉はドイツ医学の導入に反対し、1873年に慶應義塾に医学所を
開設し、イギリス医学による教育をしたが、ドイツ医学を同に裕した
政府と対立し、1880年に閉鎖されている。
その後1917年に、初代医学部長に北里柴三郎が就任し、医学科予科を
開設。
○ドイツ医学の勝利
・オランダ医学を推す聴衆精力と、イギリス医学を推す薩摩勢力とも
関係の無いドイツ医学を選んだとも考えられる。
・1861年に来日した英国人医師のウィリスが、東大医学部の前身である
東京医学校権病院の院長に抜擢されたが、ドイツ医学の導入により
院長職を失った。その後、西郷隆盛に助けられ、鹿児島で医学教育を
行った。弟子の中には、東京慈恵会医科大学の前身である成医会
講習所の創始者となる高木兼寛がおり、イギリス医学が引き継がれ
ている。
○東京帝国大学医学部の前身
・1868年 幕府直轄の医学書が大病院となる。
・1869年2月 大病院は医学校兼病院となる。
・1869年12月 大学東校となる。
・1872年8月 第一大学区医学校となる。
・1874年5月 東京医学校と改称
・1877年4月 東京開成学校と東京医学校を合併し、東京大学に医学部設置。
・1893年 医局講座制が実施。20講座16名の教授が誕生。
○全国に広がった東大学閥
・1877年 東京帝国大学医学部
・1899年 京都帝国大学医学部
・1911年 九州帝国大学医学部
・1915年 東北帝国大学医学部
・1919年 北海道帝国大学医学部
・1931年 大阪帝国大学医学部
・1939年 名古屋帝国大学医学部
○医学専門学校(旧制六医科大学)の医科大学昇格(1922〜1923年)
・長崎、岡山、熊本、新潟、千葉、金沢
・大阪府立医科大学も同じ時期に昇格
○私立医大御三家
・慶應大学医学部、東京慈恵会医科大学、日本医科大学
○医学専門学校(医専)の設置
・1935年から軍国主義の拡大により、医師不足を懸念し、帝大、
旧制医大、私立医大が医学部とは別に医学専門部を設置。
・1943〜1945年にかけて全国に医学専門学校が設立され、3年位の
教育で医師になれるが、医学部の研究者にはなれない「医者の
二重構造」を作り出した。
・これらの医専が、戦後に医科大学や医学部に昇格された。
旧制医学専門学校を前身とする大学
国立・公立 | 私立 |
札幌医大 | 岩手医科大 |
弘前大 | 順天堂大 |
福島県医大 | 昭和大 |
群馬大 | 東京医科大 |
東京医科歯科大 | 東京女子医大 |
信州大 | 東邦大 |
横浜市立大 | 日本大 |
名古屋市立大 | 大阪医科大 |
岐阜大 | 関西医科大 |
三重大 | 久留米医科大 |
神戸大 | - |
大阪市立大 | - |
奈良県立大 | - |
和歌山県立大 | - |
徳島大 | - |
鳥取大 | - |
広島大 | - |
山口大 | - |
鹿児島大 | - |
・医学部の設立経緯は、患者にとっては興味かない事かもしれないが
そこで勤務する医師には大きな意味がある。
○学閥地図(2001年5月現在)
・北海道大学医学部閥
影響下:札幌医科大学、旭川医科大学
・東北大学医学部閥
ほぼ傘下:秋田大学
影響下:弘前大学、岩手医科大学、山形大学、福島島県立医科大学、
近畿大学
・東京大学医学部閥
傘下:自治医科大学、帝京大学
ほぼ傘下:埼玉医科大学、筑波大学
影響下:群馬大学、独協医科大学、防衛医科大学校、順天堂大学、
東京医科歯科大学、昭和大学、東邦大学、杏林大学、
横浜市立大学、聖マリアンナ医科大学、山梨医科大学、
浜松医科大学
・慶應義塾大学医学部閥
傘下:東海大学
影響下:防衛医科大学校、杏林大学、北里大学、藤田保健衛生大学
・名古屋大学医学部閥
傘下:愛知医科大学
ほぼ傘下:藤田保健衛生大学
・京都大学医学部閥
傘下:関西医科大学
ほぼ傘下:滋賀医科大学
影響下:福井医科大学、三重大学、近畿大学、島根医科大学、
香川医科大学
・大阪大学医学部閥
傘下:兵庫医科大学
ほぼ傘下:愛媛大学
影響下:近畿大学
・九州大学医学部閥
傘下:福岡大学、佐賀医科大学
ほぼ傘下:産業医科大学
影響下:久留米大学、宮崎医科大学、鹿児島大学
・新潟大学閥
影響下:琉球大学
・金沢大学閥
ほぼ傘下:金沢医科大学
・岡山大学閥
ほぼ傘下:川崎医科大学
影響下:高知医科大学、香川医科大学
・長崎大学閥
影響下:大分医科大学
○関東主要病院の学閥地図
・都内に公立、私立、大学病院を含め500床以上の病院は54件。
その内17病院の院長を東大卒、12病院の院長を慶應卒が占める。
○完全独立、ほぼ独立大学
弘前大学、千葉大学、日本大学、東京医科大学、横浜市立大学、岐阜大学、
奈良県立医科大学、京都府立医科大学、大阪医科大学、大阪市立大学、
神戸大学、広島大学、山口大学、札幌医科大学、岩手医科大学、日本医科
大学、順天堂大学、昭和大学、東邦大学、信州大学、三重大学、和歌山
県立医科大学、鳥取大学、徳島大学、久留米大学
○今の医療がいきつくべき所
・医療法・医療倫理の大家ジョージ・アナス教授(ボストン大学公衆衛生
大学院)は、医療サイドの「トランスペアレンシー(透明性)」と
「アカウンタビリティ(説明責任)」と指摘。
『アメリカ医療の光と影―医療過誤防止からマネジドケアまで』
・つまり医療サイドが、何も隠さず衣料の情報を公開し、患者でも医者でも
誰でも医療の情報を共有できるようにし、医療行為の正当性を責任をもって
説明できるようにすることが必要。
・権威に恐れず、自らの医療の結果を公開し、反省し診療の改善に役立てて
いく勇気が必要である。