米山公啓氏の5年前の著書を読んだ。医学界における学閥について理解が深まった。

患者が求める医療に関する情報が反乱すればするほど、医療のブランド化が進むが、曖昧な情報によって、ブランド化、系列化された医療を選択することが望ましいのか?警鐘を鳴らす本であった。
学閥がどうできあがってき、それがどう利用され、今後それをどう改革していくべきか、が述べられている。


学閥支配の医学 (集英社新書)

学閥支配の医学 (集英社新書)


<読書メモ>


○医学界の微妙な力関係
 ・卒業年度、出身大学、所属医局によって、互いの力関係をさりげなく探り合う
  ことが普通。
 ・旧帝国大学医学部を頂点とする学閥(「ジッツ:Sitz」ドイツ語で、座席・椅子・
  議席という意味で、関連病院のポスト、学閥を意味するようになった)の
  ピラミッドがますます強固になっている。
 ・医学部でのスキャンダル、附属病院での医療ミスの背景に、学閥が関係して
  いることが多い。


サリドマイド事件
 ・旧西独のグリュネンタール化学会社が開発した睡眠剤
 ・てんかんの抗痙攣剤として開発されたが、鎮痛・睡眠薬として広く使われる
  ようになり、製薬会社は副作用は無く、小児や妊産婦にも使用可能と宣言。
 ・日本では1958年1月に睡眠薬、胃腸薬として発売。
 ・1961年11月に、旧西独の小児科医師会議にて、サリドマイドと四肢奇形との
  関係の研究報告後、旧西独では同月に出荷停止。その他各国で同年中に
  回収措置が実施された。
 ・日本で出荷が停止されたのは、翌年1962年5月であり、回収公告が出された
  のは、1962年9月だった。その回収も不十分であった為、1964年から1969年
  にかけて更に5人の被害者が出た。
 ・米国ではFDAの女性医務官が副作用に疑問を抱き、製造許可を与え
  なかったため、サリドマイド事件は広がらなかった。
  『ストロング・メディスン〈上〉 (新潮文庫)』(アーサー・ヘイリー)に描かれ、
  映画化。


○論文の客観的評価
 ・サイテーションインデックス:
   米国ISI社(Institute for Scientific Information)が約3600の主要な
   自然科学系雑誌に掲載された論文について調査し、ある論文が発表後
   何件の他の露文で引用されたかを数値化したもの。
 ・インパクトファクター:
   論文の引用回数を雑誌別に集計して、論文一編当りの引用回数の平均を
   出したもので、雑誌のレベルを示している。インパクトファクターが高い
   ほど、他の研究者に論文を引用されたことになり、レベルの高い雑誌と
   いうことになる。


医科大学新設ブーム
 ・1970年以降に、医学部・医科大学の新設ブームが起きた。
 ・川崎医科大学、聖マリアンナ医科は開業医が設立。
 ・このブームで、既存の大学病院にいて、母校の教授になれない者が、新設
  医大のポストを狙うことになった。
新設医学部・医科大学

国立 私立
秋田大学(1970) 北里大学(1970)
旭川医科大学(1973) 杏林大学(1970)
山形大学(1973) 川崎医科大学(1970)
防衛医科大学校(1973) 帝京大学(1971)
筑波大学(1973) 聖マリアンナ医科大学(1971)
愛媛大学(1973) 愛知医科大学(1971)
浜松医科大学(1974) 自治医科大学(1972)
滋賀医科大学(1974) 埼玉医科大学(1972)
宮崎医科大学(1974) 金沢医科大学(1972)
富山医科薬科大学(1975) 藤田保健衛生大学(1972)
島根医科大学(1975) 兵庫医科大学(1972)
高知医科大学(1976) 福岡大学(1972)
佐賀医科大学(1976) 独協医科大学(1973)
大分医科大学(1976) 東海大学(1974)
山梨医科大学(1978) 近畿大学(1974)
福井医科大学(1978) 産業医科大学(1978)
香川医科大学(1978) -
琉球大学(1979) -


○地域病院の支配
 ・医局から医者を派遣する病院を関連病院、別名ジッツ病院という。
 ・1つの医局には、内科であれば医局員が50〜100名おり、彼らのポストを
  大学病院だけでは用意できない。


○大学病院は勝者、開業医は敗者という感覚
 ・医局に残って研究を続けることが、開業医になるより社会的地位は上で
  あると多くの医者が信じている。


○医者を評価する基準
 ・出身大学、出身大学院、留学経験、勤務病院などのブランドと、
  ブランドに左右されない医学博士号。
 ・医学博士は、一般の人から尊敬を受ける為、開業医は博士号を有難がる。


○日本の近代医学の始まり
 ・1869年に、明治政府の医学取調御掛の相良知安と岩佐純の主張により、
  近代医学の手本として、ドイツ医学の導入が決定。
 ・福沢諭吉はドイツ医学の導入に反対し、1873年慶應義塾に医学所を
  開設し、イギリス医学による教育をしたが、ドイツ医学を同に裕した
  政府と対立し、1880年に閉鎖されている。
  その後1917年に、初代医学部長に北里柴三郎が就任し、医学科予科
  開設。


○ドイツ医学の勝利
 ・オランダ医学を推す聴衆精力と、イギリス医学を推す薩摩勢力とも
  関係の無いドイツ医学を選んだとも考えられる。
 ・1861年に来日した英国人医師のウィリスが、東大医学部の前身である
  東京医学校権病院の院長に抜擢されたが、ドイツ医学の導入により
  院長職を失った。その後、西郷隆盛に助けられ、鹿児島で医学教育を
  行った。弟子の中には、東京慈恵会医科大学の前身である成医会
  講習所の創始者となる高木兼寛がおり、イギリス医学が引き継がれ
  ている。


東京帝国大学医学部の前身
 ・1868年 幕府直轄の医学書が大病院となる。
 ・1869年2月 大病院は医学校兼病院となる。
 ・1869年12月 大学東校となる。
 ・1872年8月 第一大学区医学校となる。
 ・1874年5月 東京医学校と改称
 ・1877年4月 東京開成学校と東京医学校を合併し、東京大学に医学部設置。
 ・1893年   医局講座制が実施。20講座16名の教授が誕生。


○全国に広がった東大学閥
 ・1877年 東京帝国大学医学部
 ・1899年 京都帝国大学医学部
 ・1911年 九州帝国大学医学部
 ・1915年 東北帝国大学医学部
 ・1919年 北海道帝国大学医学部
 ・1931年 大阪帝国大学医学部
 ・1939年 名古屋帝国大学医学部


○医学専門学校(旧制六医科大学)の医科大学昇格(1922〜1923年)
 ・長崎、岡山、熊本、新潟、千葉、金沢
 ・大阪府医科大学も同じ時期に昇格


○私立医大御三家
 ・慶應大学医学部、東京慈恵会医科大学日本医科大学


○医学専門学校(医専)の設置
 ・1935年から軍国主義の拡大により、医師不足を懸念し、帝大、
  旧制医大、私立医大が医学部とは別に医学専門部を設置。
 ・1943〜1945年にかけて全国に医学専門学校が設立され、3年位の
  教育で医師になれるが、医学部の研究者にはなれない「医者の
  二重構造」を作り出した。
 ・これらの医専が、戦後に医科大学や医学部に昇格された。
旧制医学専門学校を前身とする大学

国立・公立 私立
札幌医大 岩手医科大
弘前 順天堂大
福島県医大 昭和大
群馬大 東京医科大
東京医科歯科大 東京女子医大
信州大 東邦大
横浜市立大 日本大
名古屋市立大 大阪医科大
岐阜大 関西医科大
三重大 久留米医科大
神戸大 -
大阪市立大 -
奈良県立大 -
和歌山県立大 -
徳島大 -
鳥取 -
広島大 -
山口大 -
鹿児島大 -

 ・医学部の設立経緯は、患者にとっては興味かない事かもしれないが
  そこで勤務する医師には大きな意味がある。


○学閥地図(2001年5月現在)
 ・北海道大学医学部閥
   影響下:札幌医科大学旭川医科大学
 ・東北大学医学部閥
   ほぼ傘下:秋田大学
   影響下:弘前大学岩手医科大学山形大学、福島島県立医科大学
       近畿大学
 ・東京大学医学部閥
   傘下:自治医科大学帝京大学
   ほぼ傘下:埼玉医科大学筑波大学
   影響下:群馬大学、独協医科大学防衛医科大学校順天堂大学
       東京医科歯科大学昭和大学東邦大学杏林大学
       横浜市立大学聖マリアンナ医科大学山梨医科大学
       浜松医科大学
 ・慶應義塾大学医学部閥
   傘下:東海大学
   影響下:防衛医科大学校杏林大学北里大学藤田保健衛生大学
 ・名古屋大学医学部閥
   傘下:愛知医科大学
   ほぼ傘下:藤田保健衛生大学
 ・京都大学医学部閥
   傘下:関西医科大学
   ほぼ傘下:滋賀医科大学
   影響下:福井医科大学三重大学近畿大学島根医科大学
       香川医科大学
 ・大阪大学医学部閥
   傘下:兵庫医科大学
   ほぼ傘下:愛媛大学
   影響下:近畿大学
 ・九州大学医学部閥
   傘下:福岡大学佐賀医科大学
   ほぼ傘下:産業医科大学
   影響下:久留米大学宮崎医科大学鹿児島大学
 ・新潟大学
   影響下:琉球大学
 ・金沢大学閥
   ほぼ傘下:金沢医科大学
 ・岡山大学
   ほぼ傘下:川崎医科大学
   影響下:高知医科大学香川医科大学
 ・長崎大学
   影響下:大分医科大学


○関東主要病院の学閥地図
 ・都内に公立、私立、大学病院を含め500床以上の病院は54件。
  その内17病院の院長を東大卒、12病院の院長を慶應卒が占める。


○完全独立、ほぼ独立大学
 弘前大学千葉大学日本大学東京医科大学横浜市立大学岐阜大学
 奈良県立医科大学京都府立医科大学大阪医科大学大阪市立大学
 神戸大学広島大学山口大学札幌医科大学岩手医科大学、日本医科
 大学、順天堂大学昭和大学東邦大学信州大学三重大学、和歌山
 県立医科大学鳥取大学徳島大学久留米大学
 

○今の医療がいきつくべき所
 ・医療法・医療倫理の大家ジョージ・アナス教授(ボストン大学公衆衛生
  大学院)は、医療サイドの「トランスペアレンシー(透明性)」と
 「アカウンタビリティ(説明責任)」と指摘。
  『アメリカ医療の光と影―医療過誤防止からマネジドケアまで
 ・つまり医療サイドが、何も隠さず衣料の情報を公開し、患者でも医者でも
  誰でも医療の情報を共有できるようにし、医療行為の正当性を責任をもって
  説明できるようにすることが必要。
 ・権威に恐れず、自らの医療の結果を公開し、反省し診療の改善に役立てて
  いく勇気が必要である。